水辺

雑記

終わらないアイドル

アイドリッシュセブン1st LIVE「Road To Infinity」から1週間。感覚が鮮明なうちに少しずつ書いていこうと思う。

件のライブは2018年7月7日(土)、8日(日)埼玉・メットライフドームで開催された。出演はIDOLiSH7・TRIGGER・Re:valeの3グループ。わたしは2日間ライブビューイングで参戦した。

昨今の二次元アイドルコンテンツにおけるライブはいくつかの形式があるが、その中でも「キャラクター達に声をあてる声優達が作中のアイドル達と同様に歌って踊る」というライブ形態が主流になってきているように思う。今回のライブも12名の声優達によってパフォーマンスが行われた。


そもそもアイドリッシュセブンとは、アイドルを育成するソーシャルゲームサービスが発端で、アニメ、そして今回のライブへと展開していったコンテンツだ。

アイドルとして生きるキャラクター達の視点を主軸に置きながら、仲間、ライバル、血の繋がりや縦社会に直面した個々の半生、そして様々なやさしさのかたちが描かれている。

同じ場所に立っていたとしても、必ずしも同じ方向を見つめているとは限らない。さまざまな尺度のなかで生きている。

それでも彼らは同じ場所を見据え、歩んでいくために、己と向き合い、他者を見つめ、ぶつかりながらも他者との関わりのなかに自分なりの在り方を模索していく。

 

わたしが追い求めているアイドル像はどうしようもなく概念で、生活から一番遠い場所に存在する・親近感を求めない・絶対的であってほしいといった個人に抱くには傲慢が過ぎるほとんど幻想のようなものだ。

ステージ上できらめくアイドル達には生命があって肉体があって、それは限りのあるものだから、現実において永遠が約束されるということはない。

そしてそれは応援する側の人間にとっても同様に言える。我々にも生があり、生活がある。そして人間の興味は移ろっていく。ゲームのストーリーではその移ろいの部分についてとても丁寧に描写されている。

このコンテンツを通して、アイドルという存在を崇拝すればするほど、自ずと個人としての彼らや彼らの生活を殺してしまうのだと痛いほど思い知らされた。理想や期待を免罪符にして、知らずのうちにオタクのエゴを押し付けてしまうことが恐ろしかった。たとえ一種の信仰にも似た感情を抱いていたとしても、アイドルは神ではない。

キャラクターは実体をもたないが、彼らが真に存在し得ないからこそ、この傲慢な感情をぶつける対象を生身の人間と天秤にかけ、微かに薄れたように思える罪悪感から安心を得ているだけなのではないかという思いを拭えずにいた。

それでも、彼らの姿を追い続けていたい、終わらないで欲しいと願う。どんな形だっていいから存在を示し続けて欲しい。共に夢を見続けたいし、醒めてほしくない。いつだって永遠を祈り続けるという業を背負わせてくれと思っていた。


「TRIGGER」は常にファンへの気持ちを強く掲げ、ファンに求められる自分たちの姿を追求していく。

差し伸べられた手を取るか否かは我々に委ねられていて、彼らはこちらの手を引くことはせず、パフォーマンスで圧倒的に君臨する。光を背負い光を放ち影のようにそこに在る。

グループに真摯に向き合い積み上げた経験や、弛まぬ努力に裏打ちされた揺るがないメンバー間の信頼、そんな彼らから発信される”この手を取ったなら、最高に刺激的な時間を約束する”というメッセージは「TRIGGERというグループがそこに存在する」ことが何よりもファンへの強固な証明だと感じている。

ゲームの性質上、シナリオの読み手はアイドル達の内情を突きつけられる。彼らは揺さぶられる環境のなかで、どんな状況であってもファンの為に歌い続けることをやめなかった。アイドルとして、TRIGGERとして存在を示し続けた。彼らの目指すアイドル像は、わたしの思い描くアイドル像そのものだった。


あの日、ライブでTRIGGERが登場した瞬間の、歓声と、空間まるごとが肉薄し、熱が押し寄せてくる感覚を何度も思い出す。

そこにいたのはキャラクターではなくあくまでも声優という演者の方達で、けれどそこにはわたしが追い続けてきたTRIGGERという概念が確かにあった。

TRIGGERの目指す「TRIGGER像」はかたちを持たず、いわば幻に過ぎない。そしてあの日我々が見たTRIGGERもまた幻なのだろう。

生身の人間がアイドルとして在ること/キャラクターがアイドルとして在ること、その間にある溝は一見深いようでいて、映し出される像の部分は地続きになっているように思う。「TRIGGER」という観念もそこに等しく在るのではないだろうか。

時間を共有したすべての人間が思い思いに描く3人の姿が、あの空間に「TRIGGER」という像を映し出していたように思う。

アイドルという存在は個人の内に作り出されるものであり、必ずしも「実存」が前提にある必要はない。

わたしのなかにアイドル・TRIGGERは確かに存在している。あの日垣間見た「TRIGGER」の姿は、迷わず彼らに着いて行けばいいのだと確信させてくれた。それは彼らが示してくれたひとつの在り方だった。

彼らから発信される宝石を冠した楽曲や散りばめられた歌詞に触れるたび、あの光を思い出す。彼らはそこに立つことを選び、そこに立っているということ、その瞬間に立ち会えたというまぎれもない事実と、非現実感とがいまも混在している。

二次元アイドルは生を持たないし、肉体的な死は訪れない。それでもコンテンツは永遠ではない。TRIGGERは揺らがない。ならばわたしも彼らとあの景色のことを信じていたいと思う。